26歳OLが普通自動二輪免許を取得するまで

突然ですが、この度普通自動二輪教習を終え無事に普通自動二輪免許を取得しました。イエーイ!

教習中、あまりにも教習所や教習内容の情報が少なかったので、誰かの参考になればいいなと思い、そして自分の記録も兼ねて書いていきます。以下、隙あらば自分語りがいっぱいあるよ。

 

・自己紹介

158cm42kg

四輪免許所持(AT限定で6年前に取得)

自転車は乗れる 車の運転大好き

バイク乗車経験はタンデム2回ほど

バイクの知識は全くなし ハイローで出てくるバイクがハーレーなのは知ってる

 

身長は低いわけではないので特に心配はしていなかったが、とにかく体重が低くて体力がないことは不安だった。結果的に体重が低いことが免許取得に影響することはなかったけど、体力や筋力はあるに越したことはないなと思った。ガリガリでも免許はとれます!!

車の運転は片道3時間までなら余裕。高速も平気。ただ昨年レンタカー当て逃げされてからは実家の車に乗るくらい。昔はハスラーを乗り回して、中国道を爆走していた。違反歴なし。

バイクは125cc250ccの後ろに乗せてもらったことはあるけど自身での運転経験はない。

~以下回想~

大学時代、授業で知り合った他学部の先輩になりゆきでバイクの後ろに乗せてもらう。私がその日ズボンだったからよかったけど、スカートだったらどうするつもりだったんだ……

そのとき、強がって(?)「昔父のバイクの後ろに乗せてもらってました!」と言ったが、本当は初めてバイクの後ろに乗せてもらってめちゃくちゃ怖かった記憶。ちなみにこの先輩のことは結構好きだったけど、周りsageがすごいのとやたらと家に誘ってくるのが本当に嫌で、それを断ったら自意識過剰扱いされ煽られたので、死ぬほど煽り返したらLINEブロックされた。何この話???いる???

~以上回想~

 

・きっかけ

父、弟が車やバイクが好きということもあって以前からバイクには興味があったが、教習に通う時間を取るのが難しく、3年くらい「いつかバイクの免許取りたいな~」くらいの軽い気持ちで特に行動は起こさず。YouTubeで女性モトブロガーの動画を見ては「バイク乗りたい!」と思うもすぐに忘れるを繰り返していた。

~以下回想~

2年ほど前に学生時代の友人が普通自動二輪の免許を我が家の近くの教習所で取得したと聞きつけいろいろ話を聞くが、コロナ禍でヘルメットを持参し教習に通わないといけないのがなんとなく億劫でこの時点では足は動かず。免許取るなら冬がいいよ!と言われていたものの、一昨年は11月に軟骨にピアスを開けてしまいヘルメットを被ることが絶望的になってしまい諦める。

その年の年末年始に帰省したとき、弟のバイクの後ろに乗せてもらい(半ヘルだったからピアスには干渉せず)寒いし速度が早いしでビビりまくる。

昨年夏に帰省した際にも弟に「免許取らないの?」と聞かれ、久しぶりにバイクのことを思い出す。

~以上、回想~

 

そんな中、通っている整体師がバイクの免許を取得しているという話を聞き、「いいな~!私も免許取りたいんですよね」と言ったところ、「30歳で死ぬなら早めに免許とった方がいいっすよ!全然乗れないじゃないですか!」と言われ(あまりに突然だが、兼ねてより「30歳くらいでポックリ死にたいんですよね~」と整体師に話していたので……整体でどんな話してんねん)妙に納得する。そして整体が終わったその足で教習所に行って普通自動二輪教習の申し込んだ。11万を現金持参でニコニコ一括払い。行動力の鬼。

ということで、ものすごい勢いで教習に通うことなった。

もちろん、社会人なので教習所に通えるかの不安もあったが、幸い異動してから仕事量のコントロールが効くようになり、定時で帰りたい日は絶対に定時で帰れることも大きかった。さらに、働き方改革の一環で時差出勤制度が拡充され、平日19時からの教習に間に合うことも大きな要因だった。有給を1時間単位で取得できることも大きかったな……会社の制度がなければ教習通いは難しかったと思う。上司にも教習に通うことは伝えていたので、係内でも特に顰蹙を買うことはなかった。このあたりは本当に会社と係の皆さんに感謝である。

 

・教習開始

教習の申し込みしたのが9月の頭で、実際に技能教習が始まったのが9月末頃。予約が取りにくいとは聞いていたので想定内だった。9月は仕事や現場が忙しい時期だったのである意味助かったとも言える……

教習が追加になることを見越して安心パックなるプランを申し込み、諸々込みで11万弱だったかな。

四輪の免許を持っているので学科は免除。教習開始時に全ての予約を取ってもらい、最短で11月初旬での終了予定だったが、技能の追加があり結局卒検が終了したのは12月中旬となった。

 

技能初日(1回目・2回目)

9月末だったがまだ暑く、Tシャツにパーカーで教習所へ向かう。雨は降ってはいなかったが雷が鳴っており不安。初日は2時間連続での教習で、20人くらい一緒に教習を受けていた。

大まかすぎるバイクの操作説明を受け、まずは車体引き起こしから挑戦することに。引き起こしが難しいという話は聞いていたので、心してバイクを倒そうとしたときのこと。

ビビってゆっくり倒しすぎたせいか、バイクの重量が腰に思いっきり掛かってしまい、動けなくなるほどの腰痛に見舞われる。

いわゆるギックリ腰である。

教習開始10分での出来事である。引き起こすときじゃなくて倒すときにギックリ腰になることは想定しておらずあまりの衝撃に言葉を失うが、アドレナリンが出ていたこともありなんとか2時間耐えて初日の教習を終える。コースを周回したりしたが、ギックリ腰のせいであまり記憶がない。

バイクを3回くらい倒すも当然腰の痛みで引き起こせず、先生に何度も助けてもらう。結局最後まで雨は降らなかった。暑すぎる。

ちなみにその日は帰宅後起き上がれないほどの腰痛に見舞われるが、2日後くらいには治っていたので本当によかった。これが平日だったら翌日会社行けてなかったと思う………

 

技能3回目①

10月上旬。平日夜の教習。12回目の反復練習+ギアを3速まで入れて時速30kmを出す練習。スピードを出すのが怖すぎて普通に無理。判定で不合格となり、もう1時間乗るよう指示を受ける。この時点で自分の運転の下手さに泣きそうになり、教習行きたくないモードが始まる。このモードは1段階終了まで続くことに……夜でもまだまだ暑い。

組んでもらった予約を全て取り直しになり、教習終了が11月末まで伸びる。絶望。

 

技能3回目②③

10月中旬。前回同様コース内直線を330kmで走行するよう指示を受ける。が、またしても不合格となり再度予約を追加。このあたりは本当にメンタルが死んでいた。さすがに3回目で合格となり、次の教習へ進めることに。

 

技能4回目・5回目

10月下旬。暑くもなく寒くもなくちょうどいい季節になる。4回目は課題コースへチャレンジ。普通自動二輪の一段階の課題といえば坂道発進一本橋スラローム急制動である。坂道発進はやり方さえわかっていれば余裕。スラロームは車体を倒すことが怖くスピードが出せず、一度転倒。ゆっくりだとなんとか通過可能。一本橋は一発目から渡りきることに成功し満面の笑みとなる。急制動も問題なくクリア。この時点ではタイムは求められないのでとにかくミスしないことを心がける。連続して5回目の教習を受け合格。

課題はクリアできたが、バイクの取り回しが上達せず、この日は教習所の壁とバイクに挟まり、身体中があざだらけになる。どういうこと???

 

技能6回目

10月下旬。シミュレーターに乗る。楽しい。

 

技能7回目

10月下旬。スクーターに乗る。クラッチ操作がないので楽しい。

 

技能8回目①

11月上旬。そろそろ寒くなってくるが、教習中の服装がわからずとりあえずライダースを着ていく。S字・クランクの練習が始まる。S字は問題なく通過できるが、クランクがとにかく難しく転倒しまくる。一度クランク通過中に思いっきり転倒し足首が下敷きとなりハンドルで顔面打撲・右足首捻挫。3日ほど足を引きずりながら出社することに……顔はあざになってなかったけどボコっと腫れていた。危うく顔面がHiGHLOWになるところだった……ちなみにこの時の捻挫は3ヶ月経った今も治っていない。大人の治癒力、あまりにも貧弱である。当然追加教習。つらい。教習が12月まで伸びる。このあたりが本当に予約が取りにくかった。

 

技能8回目②③

11月下旬。2週間ぶりの教習。捻挫は治らないが問題なく歩ける程度には回復。クランクで転倒しないようになるが、アクセルが弱いことを指摘される。スピードを出すのが怖いのでなかなかアクセルを回せず、通過できているのに追加教習に。解せない。さすがに3回目で合格となり、次回1段階みきわめへ。半クラのし過ぎで左手が痛い……

 

技能9回目(1段階みきわめ)

11月下旬。ライダースだと寒い。震えながら教習所へ行く。課題コースを周回し判定を受ける。一本橋1回脱輪するが、それ以降は渡りきれる。スラロームは低速だがパイロ接触なし、坂道発進急制動も問題なくクリア。前の時間に狂ったほどクランクを練習したためクランクも無事通過し、一発で1段階みきわめ合格となる。歓喜

 

技能10回目・11回目

12月上旬。2段階が始まり法規走行を意識するよう言われる。クラッチ操作しながらハザードをつけるのが難しい。検定の周回コースを2時間かけて覚える。簡単だったのですぐに覚えられる。判定がないので楽しく教習に通う。このあたりから転倒はなくなる。

 

技能12回目

12月上旬。シミュレーター。公道を意識した危険回避を行う。

 

技能13回目、14回目

12月上旬。めっちゃ寒い。自宅に丈の短いコートがなく、仕方なく高校時代に着ていた毛玉だらけのコートを着ていく。危険回避の練習と検定コースの周回。

 

技能15回目、16回目

12月中旬。シミュレーターと学科教習。前回同様公道での危険回避を学ぶ。

 

技能17回目

12月中旬。極寒。2段階みきわめ前の判定があったが、寒すぎて運転に集中できず全く一本橋に乗れない。スラロームもタイムが遅くアクセルが足りないことを指摘される。とにかく寒くて思う通りの運転ができず追加教習。やむを得ない……

 

技能17回目②

12月中旬。前回の反省を受け全身にカイロを貼って挑む。イメージトレーニングという名の攻略動画をYouTubeで大量に見たので一本橋は脱輪なし。またもやスラロームのアクセルが弱いことを指摘されるが、無事合格となる。勝因はカイロ。特に靴下に貼るカイロがこうかばつぐんだった。

 

技能18回目(2段階みきわめ)

12月中旬。全身カイロでみきわめに挑む。特になにも指摘されずみきわめ終了となり、卒業検定の予約をする。

 

卒業検定

12月中旬。朝8時半集合。出社レベルで朝が早いが、検定受験者のみで走るのでこの時間らしい。緊張しすぎて動悸が止まらない。この日も全身にカイロを貼って挑む。

説明を聞いて、順番に乗車。周回コースを走ってから課題コースを走ることを説明される。事前にYouTubeで卒検での採点方法について調べたところ、一発アウトにさえならなければある程度減点されても大丈夫という情報を手に入れていたので、とにかく転倒、脱輪しないことだけを心がける。タイムは無視。

走行開始後、クランクで一度足を着いてしまうが、一度の足つきであれば減点されないと聞いていたので落ち着いて再スタート。パイロンに接触することなくクランクを通過する。このとき先生が「落ち着いて!」と声をかけてくれて助かった……感謝。

一度失敗すると逆に落ち着き、坂道発進スラローム一本橋急制動は無事に通過。スラローム一本橋はタイムは気にせず一発アウトにならないことだけ気をつけた。法規走行は問題なかったはず。

降車後、先生にスラロームのアクセルが弱いこと、S字の入口で膨らみすぎなことを指摘される。ただ、クランクは足をついて再スタートし通過できたことを褒められホッとする。検定終了後は1時間ほど待機し、結果を待つ。

この待ってる時間が本当につらくてつらくて、気を紛らわせようとCPU相手にネット麻雀を打ったりKindleで小説を読んだりするも、全く頭に入ってこない。その後、モニターに検定番号が映し出され、合格となった。泣いた。

その後すぐ卒業式(?)となり、免許センターの案内を聞いたりして、最後に卒業合格証明書を受け取り、私の普通自動二輪教習は幕を閉じた。~完~

 

・教習を終えての感想

教習中、楽しいことよりもつらいことのほうが圧倒的に多くて何度もめげそうになったけど、無事卒業できて達成感でいっぱいだし、途中でやめなくてよかったと心底思った。

こうして書いたものを見直してみると、12月はガチでずっと教習に行ってたな……最終週は週5で行ってた。2段階は判定がある回が少なかったので予約の組み直しがほとんどなく、とにかく最短で教習を詰めまくったので大変なことになっていた……有給で何度か早めに帰らせてもらってなんとか終われた印象。これが土日だけだったらもっと時間がかかっていたと思う。

あと、12月に入ってからはとにかく寒くて寒くて、カイロがないと耐えれなかった……夏よりも冬のほうがいいというのは当然なんだろうけど(着込めるので)冬は冬でつらいということもお伝えしておきたい。秋の間に取り切れればよかったけど、それでも年内には取れてよかった!3ヶ月弱、今思えば大変いい経験になったなぁ。

この歳になって何か新しいことを始めるのってなかなか難しいので、思いつきだったけど無事免許取得できてすごく嬉しかった。

家族会議の結果、購入するバイクも大体は決めたのであとは購入するだけ。2023年はバイクで色んなところに行けたらいいな。ということで本年もよろしくお願いいたします。

ヅカローの感想をダラダラ書き殴る

ヅカロー、いよいよBlu-Rayが発売になりましたね。

普段はあまりBlu-Rayを買わないのですが(スカステに加入しているとなんとなく躊躇してしまう…)友人や家族とみるために購入したので、ダラダラ見ながら個人的に面白いと思った部分や感想をひたすら書いていくことにする。

以下、全部ネタバレです。

 

・オープニング

まず真風さんが「俺たちはただ…この街を守りたかっただけだ!」と言って鏡をパリーンと割るシーンだけで掴みはオッケー!!!スタンディングオベーション!!!という気持ち。

そして立木さんのナレーションをすっしーさんが務めるのが最高。立木ナレに役がつくの面白すぎる。

各チームのオリソン~ハイグラで涙ぐんだオタクいっぱいいるよね!?ビジュアルは基本原作通り(鬼邪高のみ学ランが青くなってた…)で一気に世界観に引き込まれる。開演5分でハイグラで最高潮にブチ上がる。

 

・山王連合会紹介ソング~床屋ピューマ

街並みの再現がすごい。よくわからんのぼりも原作のまま…せっかくならアメコのワゴンも置いてほしかったけど、シトくんの初登場はSeason2なのでなくて当然なのか…?余談だけど劇場の売店にアメコのドリップコーヒー売ってて一人で爆笑していた。LDHのバイタリティがすごい。

ダンの関西弁が下手すぎることだけが最後まで気になったかな…健二郎がネイティブすぎるから…

Do or Dieで殴り合っているシーン、原作に登場するよくわからない駐車場?が背景になってて笑った。そこまで再現するんかい。

床屋ピューマの作りこみもよかったけど、なんでITOKANじゃなかったのか本当に悔やまれる…宝塚が作るITOKAN見たかったよー…

 

・古城での舞踏会

なぜかラスカルズ主催の舞踏会に参加する山王連合会。ロミジュリ意識させるためなんだろうけど山王のメンバーが舞踏会に行くのはシュールすぎる…と思ったけどDTCとかドラマのCパートでさらっとやってそうだから問題なし。

ロッキーの見た目のインパクトすごいけど、ロッキーといえばシルバーのグリルなので物足りなさも…まぁ芹香さんがグリルつけてたらびっくりして泣いちゃうけど…

小さいHevenの模型が出てきたときクスッとした。かわいい。

このあたりからコブラが異様にしゃべる。確かにMUGEN時代のコブラって結構短絡的というか、脳と拳が直結しているところあったけど…

このあとロッキーが母と姉のことを歌うシーンがあるんだけど、これだと正史(なんてものが存在するのかは知らんけど)とズレるよね?KOUがロッキーの母と姉が自殺したことを知るのはキジーとカイトが戻ってくるときだったはずなんだけど…

 

・カナと山王の街を巡る

ハイロー初見の宝塚のオタクがコブラがノーヘルなことを気にしていたけど、ハイローの世界でヘルメットを被っている人は少数派なので問題ないのである。それよりもカナの服がバイクに巻き込まれそうなのが気になりすぎた。バイクにはちゃんとハーレーのロゴが入っていたけど本物のバイクなのだろうか…

 

・苺美瑠狂歌唱シーン

FWMでも歌ってくれたから歌唱シーンがあるのは想像してたけど嬉しかったな~。ハイローにおける苺美瑠狂の描かれ方には不満があったんだけど、ヅカローではいっぱい活躍させてくれてよかった…晴美役(晴美役なんてものはない)の夢風さんが晴美っぽくてテンション上がった。

 

・山王商店街のアーケードの上

まさかこんな形であのアーケード上が再現されるとは…親の顔ほど見た山王商店街のアーケード上。ちなみにこのアーケードはこのあといろんな形で利用されていて面白かった。

 

・苦邪組の登場シーン

宝塚で暴力団を出せないのはわかるけど、九龍やDOUBTでもよかったのでは…という気持ちもある。OneTimeOneLifeとASOBO!が聞きたかっただけですすみません。

結局メイナンツーが何者なのかは何回見てもわからなかったな…

 

・達磨一家登場シーン

和太鼓&和傘がとにかくかっこいい!!!もえこのコドウタカナル最高!!全シーンで一番迫力あるかもしれない。

コブラの「拳は人を守るときに使う」云々はレッレの尊龍から取ってるのかな?

それにしてもコブラは日向に一方的にボコボコにされることが多いな…

 

・鬼邪高校登場シーン

5チームの中で唯一原作にあるシーンを再現してくれた鬼邪高。村山へのリスペクトも高くて、関ちゃんにおんぶしてもらう村山はただのハイローだった。元村山のオタクとして、こってぃがVANS履いてくれてるのが個人的にめちゃめちゃ嬉しかった!!!

 

・無名街

ハイロー出のGENERETIONSの元オタクとして、龍友くんと涼太くん以外が歌うRUN THIS TOWNが聴ける日がくると思っていなかった…このシーンのためにチケット代を払っていたといっても過言ではない。

振付がすごく好きなんだけど、KAORIaliveさんの振付らしい!KAORIaliveさん、最近だとネバセイのフィナーレの印象が強かったんだけど、たしか昔三代目の振付もしてたんだよね。原曲っぽい振りがあって嬉しかったな~。

あとなぜかRTTだけバラードアレンジがあって笑った。好待遇である。

無名街が火気厳禁なのは知らんかったな…まぁ無名街はよく燃えるしな…

 

・HEVENのオープニングパーティー

WHITEOUTで突然のEDM感。これぞClubHEVEN。もうちょっとCYBERJAPAN感のあるダンサーがいてもよかったのにとも思う…

それにしても開店初日からHEVEN燃やされてロッキーかわいそうすぎる。お客様の安全を第一に考えるロッキー、ちょっと解釈違いだけど啓司さんも言うのかな…

 

・苦邪組とSWORDの抗争

無名街が燃えてるの見て腹抱えて笑った。めちゃくちゃ笑顔になったもんな…(こら)

スモーキーの「この代償は大きい。お前は無名街に何を置いていく」、スモーキーが言いそうなセリフNo.1でしょ。後半の殴り合いのでスモーキーが咳き込んでるんだけど、それが結構大きくてずんちゃんの元気さを感じれてよかった。

苺美瑠狂が抗争に参加してくれるのが本当に本当に嬉しくて、おにぎり作って待ってなくてよくなったことにうるっときたな…

「テメェら、後悔すんなよ」からのハイグラ、100万回くらい見た!!!!最高のハイグラ!!!

 

・エンディング

全員でのハイグラで最後にブチ上がったし、これが見たかった!!!ザラで見たようなライブ感を宝塚劇場で見れるとは…この部分だけ何回もリピートした。

 

以上、いろいろ書いたけど大満足の公演で毎公演すごく楽しめました。

曲の使い方が上手というか原作そのものだと感じたし、作り手のハイローへのリスペクトをいっぱい感じれて嬉しかったな。

以前のブログで言及したこともあるんだけど、ハイローってすごくホモソーシャルなストーリーだと思っていて、無骨な男性だけの世界で構築されているのが特徴だと思っているんです。

https://haraherinanako.hatenablog.com/entry/2017/09/15/155248

(遥か昔に書いたハイローブログ)

 

そんなストーリーを、女性だけで構成されている宝塚で上演することって相当ハードルが高かっただろうし、個人的にも驚いたんだよね。徹底的に女性を排除した世界観を女性だけで描くことが、今の時代において意味のあることだと思うしすごく嬉しかったです。

このあとのカプリチョーザも最高のショーなんだけど、うまくまとめられないので今回はお芝居の感想のみで。

宝塚のオタクとしても、LDHのオタクとしても文句なしの公演でした!!

来週で終わっちゃのさみしいな…と言いつつまだ来週も観劇するので、最後までヅカローを楽しみ尽くしたいと思います。

 

内示が出た

内示が出た。

初めての内示。春から異動になった。

前提として、弊社は基本的にいろんな部署を巡ってキャリアアップしていくんだけど、私が所属している部署では3年での異動はまずありえないので、自分でも予想外のことだった。

確かに異動希望は出したけど、大体3年目の希望は通らないし(異動したいというお気持ち表現のためにみんな希望を出す)これまでの先輩を見てきても4年目以降での異動がメジャーだった。そもそも希望したところに異動できないことも多くて、異動希望とは名ばかりのランダム人事という認識が強かった。

冬の定時面談でも、異動は無理だと思っていてね、と言われていたし、わたし自身もなんとしても異動させてくれ!!!なんて話はしなかった。全く期待もしていなかった。

内示当日。

他の先輩たちが上司に呼ばれ内示を聞きに行くのをよそ目に、わたしには関係ないしな~と思っていたら、突然声をかけられて内示を聞かされた。

希望していた部署への異動だった。

衝撃すぎてその時の記憶はほぼない。なんて言われたかも思い出せないけど、異動しても頑張ってね、と言われたことは覚えている。絶句してたけど、かろうじて「頑張ります……」とは伝えたような気がする。

弊社の人事異動はかなーーーりデリケートな話題で、個人的には全社的な通知が出るまではあまり口外したくなかったけど、同期や仲のいい先輩が他の人の口から異動を聞かされるのもな……と思い、お世話になった同僚には直接伝えた。やっぱり絶句してた。

言葉を選んだつもりだったけど、同期を残して自分だけが異動するということを伝えるのはかなりメンタルに来た。

異動したがった同期と、反対にまだ頑張れると言っていたわたし。どっちも残留なら来年まで頑張ろうね、で済んだけど、どちらか一方が異動するとなると残された人はどう思うか。そりゃ複雑だよね。

そしてさらに複雑なのは、自分より年次が上の人が異動ではないという事実である。年功序列が大切にされているこの組織で、自分よりキャリアが浅い人が異動になって自分は異動できない、というのは不快だろうな、と思う。しかも超絶異動したそうだったしな……

その結果、異動の内示を受けたわたしはいろんな人からすごい視線で見られることとなった。

希望の部署への異動でも、こんなに微妙な気持ちになるんだな、と思い少し凹んだが、いやでもお上の言うことは絶対だし、わたしになんの権限もないし……と思って一日を過ごした。針のむしろとはこのことだなと思った。

でもさ!!!!そりゃわたしだって大手を振って異動したかったわ!!!休職したから早く異動できたんだなとか思われたくないし!!!実力で花形部署に異動したかったわ!!!

その一方で、休職後でも一生懸命働いて、組織のためを思って業務にあたっていた自分を評価してくれたのだとしたら、それはめちゃくちゃ嬉しいしありがたいなと思う。

まぁうちの上司がそんな人を見る目があるとは思えないからたまたま需要と供給が一致しただけだと思うけどね……

ただ、そんなことは下っ端である我々は知る由もない。言われた場所で働くのみである。

まぁそんなこんなで春から新環境となる。

内示を受ける寸前まで、ペット可のマンションに引っ越して猫を飼うことしか考えてなかったんだけど、当分は難しくなりそうで残念。

希望したとはいえかなり忙しい部署だと聞いているので、何時に帰れるのかもわからないし有給取れるのかも不明。絶対異動ないと思ってたから4月の平日にネバセイめちゃめちゃ取次お願いしてたんたけど大丈夫かな。

でも、楽しみな気持ちがないわけでもない。もし今後転職するなら少しでも有利なようにと思って内勤のシステム関係の部署を希望した。いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていた人もいる。右も左もわからない職種だけど、新しいことに触れるのはいつだってわくわくする。

心機一転。なるようにしかならないのでとにかくやってみます。

リョーマ!を見た

友達に半ば拉致された感じで「劇場版 リョーマ! 」を見に行った感想。ちょ~~~~~~楽しかったーーー!

前提としてわたしのテニミュ知識は①テニプリの知識は10年くらい前にアニメ50話くらいまでを見たきり②テニミュは3rdの四天宝寺、全立前後編、新テニミュを観劇済③夢小説をほどほどに読む 程度です。キャラの名前はだいたい分かるけど細かいストーリーはわからない、といった感じ。テニミュは熱狂的なファンのお友達がいるので度々連れて行ってもらっているが大筋のストーリー以外はほとんど覚えてない……ちなみに今回のリョーマもそのお友達が誘ってくれたました。Twitterリョーマの話をしていたら突然「明日見に行かない?!」と言われた。フッ軽やな……

テニプリのキャラソンもほとんどわからないけど、そうはいってもオタク共がドライブの度にテニプリを流してくるのでいくつかはわかる。その昔、オタク仲間と“地獄の夢女子すごろく”なるものをしたんだけど、そのときに上記の友達が「丸井くんとの結婚式で入場でラブフェスティバルを流す!!!」と豪語してて、曲の頭しか知らないながらふ~んと思ってたんだけど、今回やたらにラブフェスティバルが(しかもアレンジで)流れていてその度に笑いをこらえるのに必死だった。

ということで、テニプリはわかるが知識が非常に偏っている、そんなわたしでも大満足できた「リョーマ!」。鑑賞した感想としては「ウケそうなコンテンツを上手く詰め込んで、いろんな解釈ができるように散らべてある」なと思った。わたしが通ってきたコンテンツにキンプリや宝塚があるから余計そう思うのかもしれない。実際テニスコートで喧嘩するシーンや敵が出てくるシーンはキンプリのアレクとの出会いのシーンを彷彿とさせたし、所々で宇宙になってるところは絶対王政!パックスヒーロナを思い出させた。エメラルドさん、大和アレクサンダーの転生か……?と思うくらいにイケメンだったな……

Twitterの宝塚アカウントでやけにヒロシがエトワールだ!!!!と言われているのも完全に理解した。(公開すぐくらいにその感想を見てすっかり忘れてたけど、ヒロシが歌い始めた瞬間「ハッ……!」となった)

最後の「シアター☆テニフェスpetit!」では2パターンのメドレーが流れるんだけど、全然知らなくてもなんとなく楽しめたし、これ発声ありで応援上映したら超絶楽しいんだろうな~となった。

トンチキ好きな人向けだけど、ストーリー自体も適度に完成されているし(大味な部分もある)、なにより全編3Dアニメーションで新しさがある!全く新しいテニプリなのかなと思っていたらいたるところに既存キャラクターが出てきてさすが許斐先生……!となった。

やっぱりトンチキ部分が面白さを増長させているのかな……歌唱シーンが定期的に存在していることで思考がブンブン振り回される感覚はさながらミュージカル鑑賞のようで面白かった!というかすごく舞台で見たい。なるべく歌唱力が高いカンパニーで……となると宝塚一択なのだろうか。個人的には星組に上演してほしいけど、お友達は「芹香さんのエメラルドを見たい!」と言っていた。笑 逆に、途中のギャングとのチェイスシーンは複数回見てると寝そうだなって思ったかな(みんな同じ舞台何回も見るといつも同じ舞台シーンで寝ることとかあるよね?!)もっと全編ダンスミュージカル!といった感じかと思っていたので、歌とダンスの部分だけを集中的にみたいな……

と思ったら冒頭部分と教会のシーンはYouTubeで公開されていた!!!!なんだ、これ見たら全部解決じゃん!

とは言えストーリーの文脈があるからこそ映えるシーンばかりなので、何回か映画見に行きたくなるな~!と思いました。今回見たのはGloryのほうなので(パラレルで設定が変わる映画なんてこれまであっただろうか)次はDecideを見たい。

一番良かったなと思うシーンは仁王がバチバチにウインクキメてくれたところです。ありがとう仁王。

できないことを認める

復職してから1ヶ月と少しが経った。この間に本当にいろんなことがあったけど、仕事についてや自分自身について、なんとなく感じることがあったので書き留めていく。

復職初日、上司と面談を行った。希望した訳じゃなく、会議室が予約されており完全にセッティングされた面談だった。そりゃそうだ、ほぼ何も言わずに突然休職したんだから……休職した理由について、休んでいる間に心に留めていたのは6割人間関係、2割業務内容、2割上司との関係性といった感じで、それぞれの因子だけだと直接な要因にはならないんだろうけど、それぞれがそれはそれは複雑に絡み合っていて、そこにプラスして体調不良を起こしていたので、これまでなら耐えれたであろう事象に耐えられなくなっていたんだと思う。

ただ、すべてを上司に言うつもりはなかった。そのときはわたしもなにが自分のストレスになっているかを完全につかみきっていなくてふわふわした状態だったし、人間関係のトラブルを上司に言ったとて……と思っていたので。「仕事をする」という行為自体はおそらく好きで、だからこそ休職前のように働きたい気持ちが強かった。しかし上司は「仕事のペースをゆるめるように」「頑張らないで」と言うので、いや、頑張りすぎて病んだ訳ではないんだが……という気持ちと、その他諸々で上司との信頼関係があまりにも築けなくなっているという現実に大層悲観した自分は、もう本当に退職するしかないと思った。ここでも上司とぶつかり(仕事内容について不十分であるようなことを言われたが、正直課内の誰よりも誠心誠意取り組んでいる自信がある。これは今でもそう)、会議室で号泣、やるせないまま定時に帰宅。次の日は欠勤した。

その次の出勤日、死んだように出勤するわたしを見かねた元上司がゆっくり話をする時間を設けてくれ、その際に職場環境を変えてみるのはどうかと提案してくれた。わたしの所属は諸事情で2フロアに分かれているのだが、もうひとつのフロアで仕事をしてみればどうか、という提案だった。この話は本当に目から鱗で、そんな我儘(そう言うのは自分だけだったけど)を提案することはできないと思ったし、まわりの顰蹙を買うのも嫌だし無理だと思ったけど、そのときのわたしはそれ以上に、同じフロアで働いている先輩(前回書いた、4月に思いっくそ喧嘩してそのまま悪態をつかれている)と顔を合わせることや、OJTをしていた後輩と顔を合わせることがしんどかった。姿が目に入るだけで、声が耳に入るだけで神経がピリピリしてしまい疲弊していた。このときはじめて、自分のメンタルが人間関係で壊れてしまったことを理解した。

悩みに悩んだけど、まだここで働ける希望があるのなら、と思って所属長に話したところ、案外すんなりと了承してもらえ、なんと翌週には座席を移動してもらえることになった。(元上司の根回しもあったようだ) PC2台の移設や設定など、担当者には大変迷惑をかけたが、だれも嫌な顔をせずこなしてくれた。ありがたかった。

この調節の間に少しずつ人間関係の不調の理由についても上司に話したけど、やはり大した言葉は頂けず(そりゃそうだ)、わたしは葛藤しながらも「環境を変える」=「とりあえず逃げる」という流れにシフトし一命を取り留めた。

上司には反対されたけど、これまでの仕事も全て抱えて席替えさせてもらった。近くに同質の業務もこなしている同僚もいないし、なにかあったときにすぐに上司に頼ることもできない。それでも、わたしの不調は嘘のように回復していった。

移動した先で暖かい言葉をかけてもらったのもそうだし、自分の仕事だけに集中できたのもよかった。件の先輩の顔も見なくて済むし、気の合わない後輩を嫌々怒ることもない。

席を移ってから、それまで頻発していた突発休が嘘のようになくなった。朝微熱が出ることもなくなったし、仕事中胃が痛くなることもない。まわりには誰もいないけど、自分の仕事に集中して取り組めるのは非常に精神衛生によかった。わたしは今の業務が好きで、やりがいを持っていて、楽しいと思っていた。そういった気持ちを少しづつ取り戻していったように思う。

物理的な距離が離れて、上司との関係も少しはよくなった。顔を合わせることが少ない分、必要最低限の会話で済むし、気持ちがもやもやするような場面に立ち会うことがない。健康になった分、上司の不機嫌に耐えるメンタルも復活した。

9月になる少し前、そろそろ戻ってくるかと上司に打診されたが、ごめんなさい無理です、とお伝えした。

どうしてごめんなさいが先に出たかと言うと、わたしがいない分の業務を他の社員がカバーしている、という認識があったからだ。いや、わたしは自分の仕事は持ったままなんだから復職した今誰に負担をかけてるわけでもないとも思うんだけど!

ただ、係の体制的に時短勤務の社員をフォローする人員が必要で、その頭数からわたしが除かれている今、他のフルタイム職員に負担が寄っているのは明白だった。

そのことについてずっと考えていた。わたしは戻るべきだし、戻らないといけないと。でも、よくよくよくよく、よーーーーく冷静になって考えてみると、自分の割り振られた業務をこなすことが本来求められている「仕事」であって、その「仕事」に他者のフォローという業務まで含まれるべきなのだろうか。そもそも係員全員がフルタイム職員だったら、自身の案件以外は取次だけでよくて取り扱わなくていいのであれば。おそらくわたしは休職してない。

わたしはこれまで、自分の仕事の幅を広く取りすぎていて、それをすべて完璧にこなせないとだめだと思っていた。(今でもそうあれればいいなとは思う) ただ、そうして取り組むうちに、自分の力量以上のことを、自分に課していたように思う。そりゃあできたらかっこいいし素晴らしいけど、できないこともある、ということを知った。情けないけど。

そう思えるようになった今、随分楽に仕事に取り組めるようになった。もちろん負担が寄っている社員もいるだろうけど、それはわたしの責任だけではなくて主に組織の責任である。そして現在、そうした課内事情を考慮しなるべく平坦化した業務になるような取り組みが始まっている。休職前、係体制が薄くなりわたしに負担が寄っていたこともほんの少しは理由になったようだ。

10月、組織は下半期に入り来年度に向かって動き出す。おそらく休職前の席に戻るようまた打診されるが、それを受けるかどうかはまだわからない。そもそも断るという選択肢があるのかどうかもわからないけれど……

今でも先輩は内線かけると態度悪いしすれ違う時に舌打ちしてくるけど、それに耐えられるようなメンタルが育っていれば戻るかもしれないし、このまま今の場所で年度末までぬくぬくしているかもしれない。わたしの所存だけではないし、いろんな圧力もあるのだろうけど。

それでも、今のところは頑張れている。あんなに辞める辞めると言っていたのに不思議だ……なんだかんだ言いつつも、柔軟に対応してくれた組織には感謝している。

いろんな人にお世話になって、今の所属以外でもやってみたいことが見つかったのも大きい。とりとめもない職場だけど、中にはいい人もいて、そうした人と一緒に働いてみたいという気持ちも芽生えた。

社会人3年目、自分のできることとできないことについて、なんとなく把握するいい機会になったと思う。自分のことを理解して、甘やかしながら、できることを精一杯やっていけたらいいな。

休職していた

1ヶ月間休職していた。

4月ごろからずっと体調が悪く、頻繁に突発した有給を取っていた。4月から所属が変わり、昨年よりもより責任が重い仕事を任せられていた。業務量は減ったがヘビーな業務を持つことになり戸惑うこともあったが、自分なりにやりがいを持って仕事をしていたし、自分が休職することになるなんて思ってもみなかった。

4月中旬ごろ、同期に「あなたの後輩が、あなたのいない飲み会であなたの悪口を言っていたよ」と教えられた。昨年1年、わたしなりに一生懸命OJTをした後輩だった。同期からそのことを言われた日は信じられないくらい泣いてしまった。友人に電話して話を聞いてもらって自分の中で落とし込んだつもりだったけど、どうしても受け流すことができずにいた。

想像以上に消費してしまい、体調を崩すことが多くなっていた。並行して、これまで仲良くしていた先輩ともトラブルがあり全く会話をしてもらえないような状況になっていた。その先輩が後輩と仲良くしておりよく遊んだりしているのを知っていたから、「これまでも自分がいない場所で悪口を言われていたのかも」という被害妄想に取り憑かれ、ふとした瞬間にしんどくなっては自宅で泣いていた。メンヘラの爆誕である。

これまで、会社での人間関係は良好だと思っていたし苦痛を感じたことはなかったが、ストレスが少しずつ積み重なっていたんだと思う。自覚もあるが、わたしは人間関係の不和に非常に弱い。過去のトラウマもあると思うが、「人にどう思われているか」という感情に左右されがちだ。見栄っ張りな性格も相まって、人によく思われたいという気持ちがとても強いのだと思う。

ただ、私情だし職場には持ち込みたくないと思っていたから、なるべく平気なフリをしていたし表面上には出していなかったと思う。業務を頑張りたかったし、結果も残したかった。職場の人間関係で疲弊しているなんて思われたくなかった。それでも、体調はストレスに比例してどんどん悪くなっていた。胃が痛いからご飯が食べれなくなって、ご飯が食べれないから体重はどんどん減っていった。

5月末、仕事中に突然胃痛で冷や汗が止まらなくなった。その日は午前中にモンスターを飲み、午後にブラックコーヒーを飲んでいたので胃痛に心当たりはありまくりだったけど、ここまで気持ちが悪くなることはなかったので早退して病院に行ったら、胃カメラを受けることになってしまった。胃カメラを受ける際にもいろいろあったのだが、意を決してカメラを飲んだ。

診断は逆流性食道炎だった。名前だけ聞いたことがあったけど、調べたら原因も症状もどれも当てはまっていてびっくりした。喫煙者だしカフェイン中毒だし飯食べたあとにすぐ横になるし、げっぷが止まらないのも食欲減衰も胃痛もどれも逆流性食道炎の症状に一致していた。

体調不良の原因がわかって安心したのも束の間、服薬しても体調が回復することはなかった。この間にも体重は減っており、いろんな人から「痩せた?」と言われることが増えた。人から言われるとだんだん気になるようになってきて、毎日体重計に乗っていた。医者にはストレスが原因なんじゃないかと言われたが、だからと言って仕事を休むつもりはなかったし、時間が解決するかなと思っていた。気がついたら、2月に受けた健康診断のときから5kg痩せていた。

6月中旬、業務のことで上司とぶつかった。自分なりに考えてとった行動が否定され注意され、涙が止まらなくなってしまった。今思うとそうとうメンタルがやばい女だし、そもそも会社の人間と揉めすぎである。ただ、このときの自分は本当にいっぱいいっぱいで、係体制でも負担が寄っていたように思うし仕事内容でも凹むことが多かった。仕事柄、他人に罵倒されることが多く、それはもう多種多様な暴言や中傷をされるのだが、今年度から案件がハードになったこともあり、よりありがたい(?)お言葉をいただくことが増えていた。

体調も悪く、業務もしんどく、人間関係もよくないというトリプルパンチで、上司に「ちょっとしんどいかも…」という旨を伝えたところ、「あなたにはいろんなことから逃げて欲しくない」「じゃあなにをしたいのか?」と言われ、いろんなことがわからなくなってしまった。

翌日、仕事に行けないと思った。「逃げて欲しくない」「なにをしたいのか」という問いの答えがどうしても浮かばなかった。わたしはどうして、決して高くない給与で、他人に罵倒されているのだろうか。この状況から逃げたいと思うことは悪なのか、自分は一体なにをしたいのか。咄嗟にメンクリを予約し、その日のうちに診断書をもらい会社に休職したい旨を連絡した。業務柄、休職する人もままいる職場なので、手続き自体は非常にスムーズだった。

診断書には1ヶ月休職と書かれていたので、一旦1ヶ月休むことにした。診断書は適応障害と書かれていたが、鬱状態よりもストレスでご飯が食べれなくなっていると思うのでまずは食生活から、ということで薬の処方は受けなかった。

やることも決まってなかったけど、実家に帰ることにした。親には1ヶ月休職することになったとだけ伝え、経緯については話さなかったが、すんなりと受け入れてもらえた。数年前、弟が退職ニート再就職を経験していたこともあり、ゆっくり休みなと声をかけてもらった。

最初の1週間くらいは胃痛が続いていたが、実家で三食ご飯を出してもらい、信じられないくらい体調は回復した。果物とか実家でしか食べれないし、人が作ってくれる食事は美味しい。人と喋ることも重要だなと思った。たばことカフェインも控えたことも大きかったと思う。2週目以降、友人に連絡して食事に出かけたり、車を運転したりするようになった。ここ数ヶ月引きこもっていたので出かけるのはすごく刺激になったしストレス発散になった。友人に休職した経緯を話したら、優しい声をかけてもらったり転職を勧められることが多くてありがたかった。2月以降見に行ってなかった宝塚を見に行ったり、友人がわざわざ有給を取ってくれたので平日にランチに行ったりした。大好きな観劇も買い物もできていなかったことを思うと、メンタルが弱っていると好きなことができなくなるというのは本当なんだなと感じた。家族ともたわいのない話をした。弟とはパチンコに行った。休職中にパチンコに行く女、狂ってて我ながら好き。仲のいい同期がわざわざ大阪まで遊びにきてくれて、一緒にUSJに行ったりもした。5年ぶりくらいに行ったけど超楽しかった。

休職中に遊びまわっていることについて、よく思わない人もいるんだろうけど、もうこんな機会はないだろうしと思って信じられなくらい遊んだし散財した。連休前に東京に戻ってきてからも遊んだ。

そして明日復職する。復職するにあたって、なにか答えが見つかったわけではないけど、退職を視野に入れて転職活動や資格取得はしたいと思っている。「なにがしたいの?」という問いに対して、答えは出なかったけど、今の仕事を一生続けたくはないとは思う。今の職種が好きだと思っていたしやりがいもあると思っていたから、自分がこういう感情を抱くのは不思議だけど、自分がやりたいことやできることを考えながら一旦働くか、という気持ちだ。

がんばります。

2020年4月・5月のこと/仕事があるということ

社会人2年目、こんなにも新年度が過酷だと知らなかったので4月はずっと瀕死の状態でした。

(実質)初めての新年度、初めてのOJT(どうして2年目がOJTを持つのかという愚痴は100回くらい言った)、組織改正に伴う人員減少・負担増、新型コロナウイルスの影響を受けこれまでできていたことが突然できなくなってしまった業務の整理などなど……毎日残業、平常時はまったくない休日出勤の連続、異動者の受け入れ準備などで3月末〜5月頭あたりまで心が休まることはほとんどなかったです。

上司に叱責されたり新入社員に舐められたりでストレスも半端なかったのですがようやく落ち着いてきたのでブログを書いています。本当は半年くらい前からブログ用にいくつか記事を書きためていたんだけど今公開しても今更感があるのでひとまずお蔵入りに……今後はためることなく更新していくつもりです。

改めまして。社会人2年目、都内でOLをしているななこです。好きなものは楽しいこととキラキラしているもの。いろんなもののオタクです。よろしくお願いします。

 

5月になってから、心労からかどうしても朝起きれない日が続いてたので自主的に弁当はお休みしました。基本的に冷食を詰めてただけだけど朝キッチンに立たなくていいだけでこんなにもストレスって減るんだなとびっくりした。

そのかわりに職場近くでランチに行ったりテイクアウトして公園でお昼食べたりすることが増えて、外食やテイクアウトの楽しさや便利さを再実感している日々です。

食にこだわりないし〜と思ってこれまでなんとなく節約のためにお弁当作ってたけどランチ楽しいし楽だしで新しい趣味を見つけてしまった感がある。ただ、今は外出自粛と留まることを知らない残業代で保っているだけで今後日常に戻ったら出費が大変なことになるので破産しない程度に嗜んでいきたいです。

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自粛要請前に食べたランチ。一人焼肉も行けるようになってしまった……


個人情報を扱う仕事なので基本的には在宅業務は不可なのですが、それでも月に3回ほどは自宅待機になったりして土日だけじゃなく平日も家にいることが増えました。(その影響で出勤時は残業して仕事する羽目になっていることは置いておいて)

ただ仕事としてできることはないのでなんとなく持ち帰った研修資料をパラパラ読んでみたり細々とした庶務をしてみたり。手持ち無沙汰になりがちなのでYouTubeで映像を流しながら仕事をしていたりしたんですが、その中でも期間限定で公開されているIDOLIISH7のライブにすっかりハマってしまってまんまとブルーレイを購入するなどしました。

ディスク3枚組でいまだに全部見れていない……落ち着いたら友人呼んで観賞会したい。 

アイナナ、数年前にどハマりしていて結構な金額を課金していたのですが途中就活やらなんやらでプレイしなくなっていたので久しぶりにコンテンツに触れたらやっぱり楽しかった〜。GWに読んでなかった3部4部も一気見して今公開されてるところまでは全部見てしまった。

 

それと同じようなタイミングでAbemaTVの声優と夜あそびという番組をなんとなく見出したらこれもまたおもしろくて声優熱が再燃してしまった。昔は声優さん大好きで声優名と所属事務所の神経衰弱ができるくらいにはミーハーだったんですが(今思えばどんな遊びをしてるんだ……)今の若い声優さんは顔と名前が全然一致しないので日々勉強中です。

 

流行りに乗っかってオンライン飲み会なるものも実施しました。学生時代のサークルメンバーと追い出しコンパぶりに喋って近況報告をしたよ。わたしは関西の大学だったんですが、わたし含め過半数が東京で仕事していてびっくりした。友人と友人の職場が実はものすごく近所だったり、わたしの最寄り駅まで友人が中型の教習を受けにきていたりと意外と近くで生活していたことがわかってみんなで爆笑した。みんな変わってなくて嬉しかったなぁ。大学3年のときサークル旅行で金沢に行ったことが本当に楽しくて楽しくて忘れられないという話をしたら、また行こうよという話になってまたひとつコロナ後の楽しみが増えた。オンライン飲み会が流行らなかったら絶対二度と集まらないメンバーだったと思うので、外出自粛も悪いことばっかりじゃないのかもと思いました。

 

楽しみにしていた舞台も帰省も3年ぶり人生2度目のディズニーランドに行く予定も全部なくなってしまったけど、それでも前に進むしかないなと思えるようになってきました。ありがたいことに仕事はあるし残業代はきっちり支給されているし、大変な時もあるけどもう少し頑張ってみようと思います。人生、山あり谷ありなのはIDOLISH7も同じだし……(?)(彼らの谷は深すぎると専らの評判だが)仕事で職をなくした人、今日食べるお金もないという人と話す中で、どうして自分がこの仕事を選んだのかをなんとなく思い出した。崇高な理想や夢があるわけじゃないけど、自分の手の届く範囲で誰かを助けることができたらいいなと思ってたんだよね。

こんなときだからこそ、自分ができることを探しながら、楽しく生きていきたいと思います。

 

#おうち時間