できないことを認める

復職してから1ヶ月と少しが経った。この間に本当にいろんなことがあったけど、仕事についてや自分自身について、なんとなく感じることがあったので書き留めていく。

復職初日、上司と面談を行った。希望した訳じゃなく、会議室が予約されており完全にセッティングされた面談だった。そりゃそうだ、ほぼ何も言わずに突然休職したんだから……休職した理由について、休んでいる間に心に留めていたのは6割人間関係、2割業務内容、2割上司との関係性といった感じで、それぞれの因子だけだと直接な要因にはならないんだろうけど、それぞれがそれはそれは複雑に絡み合っていて、そこにプラスして体調不良を起こしていたので、これまでなら耐えれたであろう事象に耐えられなくなっていたんだと思う。

ただ、すべてを上司に言うつもりはなかった。そのときはわたしもなにが自分のストレスになっているかを完全につかみきっていなくてふわふわした状態だったし、人間関係のトラブルを上司に言ったとて……と思っていたので。「仕事をする」という行為自体はおそらく好きで、だからこそ休職前のように働きたい気持ちが強かった。しかし上司は「仕事のペースをゆるめるように」「頑張らないで」と言うので、いや、頑張りすぎて病んだ訳ではないんだが……という気持ちと、その他諸々で上司との信頼関係があまりにも築けなくなっているという現実に大層悲観した自分は、もう本当に退職するしかないと思った。ここでも上司とぶつかり(仕事内容について不十分であるようなことを言われたが、正直課内の誰よりも誠心誠意取り組んでいる自信がある。これは今でもそう)、会議室で号泣、やるせないまま定時に帰宅。次の日は欠勤した。

その次の出勤日、死んだように出勤するわたしを見かねた元上司がゆっくり話をする時間を設けてくれ、その際に職場環境を変えてみるのはどうかと提案してくれた。わたしの所属は諸事情で2フロアに分かれているのだが、もうひとつのフロアで仕事をしてみればどうか、という提案だった。この話は本当に目から鱗で、そんな我儘(そう言うのは自分だけだったけど)を提案することはできないと思ったし、まわりの顰蹙を買うのも嫌だし無理だと思ったけど、そのときのわたしはそれ以上に、同じフロアで働いている先輩(前回書いた、4月に思いっくそ喧嘩してそのまま悪態をつかれている)と顔を合わせることや、OJTをしていた後輩と顔を合わせることがしんどかった。姿が目に入るだけで、声が耳に入るだけで神経がピリピリしてしまい疲弊していた。このときはじめて、自分のメンタルが人間関係で壊れてしまったことを理解した。

悩みに悩んだけど、まだここで働ける希望があるのなら、と思って所属長に話したところ、案外すんなりと了承してもらえ、なんと翌週には座席を移動してもらえることになった。(元上司の根回しもあったようだ) PC2台の移設や設定など、担当者には大変迷惑をかけたが、だれも嫌な顔をせずこなしてくれた。ありがたかった。

この調節の間に少しずつ人間関係の不調の理由についても上司に話したけど、やはり大した言葉は頂けず(そりゃそうだ)、わたしは葛藤しながらも「環境を変える」=「とりあえず逃げる」という流れにシフトし一命を取り留めた。

上司には反対されたけど、これまでの仕事も全て抱えて席替えさせてもらった。近くに同質の業務もこなしている同僚もいないし、なにかあったときにすぐに上司に頼ることもできない。それでも、わたしの不調は嘘のように回復していった。

移動した先で暖かい言葉をかけてもらったのもそうだし、自分の仕事だけに集中できたのもよかった。件の先輩の顔も見なくて済むし、気の合わない後輩を嫌々怒ることもない。

席を移ってから、それまで頻発していた突発休が嘘のようになくなった。朝微熱が出ることもなくなったし、仕事中胃が痛くなることもない。まわりには誰もいないけど、自分の仕事に集中して取り組めるのは非常に精神衛生によかった。わたしは今の業務が好きで、やりがいを持っていて、楽しいと思っていた。そういった気持ちを少しづつ取り戻していったように思う。

物理的な距離が離れて、上司との関係も少しはよくなった。顔を合わせることが少ない分、必要最低限の会話で済むし、気持ちがもやもやするような場面に立ち会うことがない。健康になった分、上司の不機嫌に耐えるメンタルも復活した。

9月になる少し前、そろそろ戻ってくるかと上司に打診されたが、ごめんなさい無理です、とお伝えした。

どうしてごめんなさいが先に出たかと言うと、わたしがいない分の業務を他の社員がカバーしている、という認識があったからだ。いや、わたしは自分の仕事は持ったままなんだから復職した今誰に負担をかけてるわけでもないとも思うんだけど!

ただ、係の体制的に時短勤務の社員をフォローする人員が必要で、その頭数からわたしが除かれている今、他のフルタイム職員に負担が寄っているのは明白だった。

そのことについてずっと考えていた。わたしは戻るべきだし、戻らないといけないと。でも、よくよくよくよく、よーーーーく冷静になって考えてみると、自分の割り振られた業務をこなすことが本来求められている「仕事」であって、その「仕事」に他者のフォローという業務まで含まれるべきなのだろうか。そもそも係員全員がフルタイム職員だったら、自身の案件以外は取次だけでよくて取り扱わなくていいのであれば。おそらくわたしは休職してない。

わたしはこれまで、自分の仕事の幅を広く取りすぎていて、それをすべて完璧にこなせないとだめだと思っていた。(今でもそうあれればいいなとは思う) ただ、そうして取り組むうちに、自分の力量以上のことを、自分に課していたように思う。そりゃあできたらかっこいいし素晴らしいけど、できないこともある、ということを知った。情けないけど。

そう思えるようになった今、随分楽に仕事に取り組めるようになった。もちろん負担が寄っている社員もいるだろうけど、それはわたしの責任だけではなくて主に組織の責任である。そして現在、そうした課内事情を考慮しなるべく平坦化した業務になるような取り組みが始まっている。休職前、係体制が薄くなりわたしに負担が寄っていたこともほんの少しは理由になったようだ。

10月、組織は下半期に入り来年度に向かって動き出す。おそらく休職前の席に戻るようまた打診されるが、それを受けるかどうかはまだわからない。そもそも断るという選択肢があるのかどうかもわからないけれど……

今でも先輩は内線かけると態度悪いしすれ違う時に舌打ちしてくるけど、それに耐えられるようなメンタルが育っていれば戻るかもしれないし、このまま今の場所で年度末までぬくぬくしているかもしれない。わたしの所存だけではないし、いろんな圧力もあるのだろうけど。

それでも、今のところは頑張れている。あんなに辞める辞めると言っていたのに不思議だ……なんだかんだ言いつつも、柔軟に対応してくれた組織には感謝している。

いろんな人にお世話になって、今の所属以外でもやってみたいことが見つかったのも大きい。とりとめもない職場だけど、中にはいい人もいて、そうした人と一緒に働いてみたいという気持ちも芽生えた。

社会人3年目、自分のできることとできないことについて、なんとなく把握するいい機会になったと思う。自分のことを理解して、甘やかしながら、できることを精一杯やっていけたらいいな。